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日本図書館研究会研究例会(第350回)報告


日 時:2019年7月6日(土)14:00〜16:00
会 場:同志社大学新町キャンバス尋真館図書館学資料室(Z5)
テーマ:浜松西高校時代の森博先生 
発表者:鈴木 嘉弘氏(元常葉大学)
参加者:6名
1.発表の概要
1.1 発表の目的
 私は,たまたま森先生の後に浜松西高に赴任,図書係としても先生の後を継いだ,その後,静
岡県立中央図書館に勤務し,森先生のその後のご活躍を知り,私の持っていた先生像との隔たり
を感じていた。退職後,私なりにメモを取り始めた。奥泉和久氏に資料提供したのはその頃だが,
ここでは,氏の「(森先生の)浜松西高時代」を補足し,森先生にとって浜松西高時代は何だっ
たのか,皆さんのご意見を伺った。

1.2 当時の浜西高図書館の概要
 昭和28年,4月森先生着任,29年7月校舎火災,30年10月新校舎完成により,旧講堂
を全面的に図書館に改造,開架式(当時は閉架式が多かった)108席の閲覧室・映写室・展示
室兼会議室・事務室等を設備した。森先生は,着任後早い時期に,辞書体目録の作成に着手,3
0年10月「図書館利用法」発行。

1.3 生徒会誌創刊号「図書館の出発」に見る森先生の図書館像
 森先生は,あるべき姿の西高図書館として「学校の隅々にまで栄養を補給する有機体―いわば
学校の心臓として出発させたい。館員は資料利用の準備を整え,利用の便を直接図る博学多識の
精鋭である。目録は整備され,相談員が置かれ,サービス網があまねく整えられる。つまり,図
書館はあらゆる面からの利用に応えられる図書館に姿を変える。そのために西高図書館は,コペ
ルニクス的の転回を開始しようとしているのである。」と夢と決意を述べている。

1.4 生徒会誌第2号「図書館1年間の歩み」に見る,森先生転出後の浜西高図書館
 まず,4月にはロッカー設置,5月には新聞綴じと新聞掛購入,分類別貸し出し統計開始,第
1回図書館世論調査実施,その集計に基づき「全校生徒に親しまれ愛され,利用されることを目
標」に,施設(照明・掲示板など),蔵書(本校生に合うもの),運営(始業前・昼休みの貸し
出し・単元学習参考書調査・新購入書紹介など)の改善を行い,生徒図書委員も他の委員選出後
なのに,新たに選出している。以降,推薦図書目録作成・紛失図書調査・夏休み中や10分休み
の貸し出し,10月下旬に図書館だより創刊,11月に第2回世論調査,1月に図書の廃棄を行
っている。その間,学校図書館の在り方を求めて県内の学校図書館を,係教員・司書・図書委員
を同伴して視察・協議を延べ16回,鈴木はさらに新幹線のない時代に,京都の高校2校・中学
1校を視察している。

1.5 図書館だより創刊号での鈴木の学校図書館像
 ここでは「1つの考え方―学習活動と図書館」と題して「談話室・勉強室・読書室・貸本屋的
利用でなくて,図書館をもっと毎日の学習活動に結びつけ積極的に実力の養成に努めよう!」の
呼びかけをしている。

1.6 当時の教員・司書・生徒は,森先生をしてどう受け止めていたか。
 前述の先生の「図書館の出発」をコピーし,特に先生の夢と決意の具現化をどう受け止めてい
たか,をアンケートで実施,教員7・司書2・生徒12から回答をいただいた。多くの者は,記
憶が不確かだがの前書き付きで,一部の教員が,森先生は学校図書館について理想をお持ちで,
「教員全員が読書の相談員であるとの自覚を持つ必要がある」と考えていたようだが,控えめで,
職員会議での発言も記憶がない,状況は極めて厳しかった,と答えている。生徒は,図書館にか
かわる話は聞いたことがあるが,具体的な内容は思い出せない,授業は他の先生と同様講義式で,
ぼそぼそ声なのでもっと大きな声でといった覚えがある,と答え,司書は,図書館や司書のある
べき姿について話された記憶はなく,ワンマンで,司書は言われたことをやるだけだったと答え
ている。

1.7 まとめ
 以上限られた資料からだが,森先生は学校図書館のあるべき姿を追求し,旧講堂を図書館に改
造,図書館利用の手引きも作ったが,利活用の具体化までは手が届かず,もっぱら2人の司書に
辞書体目録の作成に専念させていたことになる。(まだガリ切りの時代)当時は高校レベルで辞
書体目録を作成していたという話は寡聞にして聞いてないが,森先生はなぜ辞書体目録にこだわ
られたのか,利用指導の具現化をどう進められようとしていたのか,浜松西高時代は森先生にと
って何だったのか,私は今も疑問を抱えたままでいる。森先生が図書館に身を捧げた理由は何か。
私の仮定だが,戦後教育は戦前教育の反省から出発している。森先生は短い期間だが戦前の教育
に関与されており,その反省から民主主義の教育の象徴である図書館にのめりこんだのではない
か。戦後の先生の言動についてもう少し調べたい気持ちである。

2.質疑
・「辞書体目録」は実際には大学図書館でも難しく大変な手間がかかるためやめてしまったもの
を,森先生が学校図書館で作ろうとしたのはなぜか?
→よくわかっていない。現実には大変な作業で,辞書体目録を作ること以外の仕事ができなかった。
・「図書館利用法」は実際に生徒に配られ,活用されたのか?
→当時の司書は「記憶にない,山積になってたのは覚えている」と言っている。「図書館利用法」
は必要な図書を検索できるようにしたいという思いから作ったと思う。
・昭和23年に文部科学省が発行した『学校図書館の手引』は当時全校に配布されていたのか?も
しされていたら,そこには「辞書体目録」の言葉が出てくるので,この影響もあったとは考えられ
ないか?
→全校に配布された。「辞書体目録」の言葉が出てくるのであればそういうこともあるかもしれない。

3.感想(司会・進行を担当した今野による)
 司会者にとって,学校図書館の歴史は専門外であるため,昭和30年前後の静岡県の学校図書館
の実態に関するお話は大変に興味深かった。一方,司会者は,目録の歴史について研究をしている
が,明治から大正期にかけて,理論上は重視されてきた辞書体目録が,昭和30年頃,図書館現場
では実際にはどのように受容されていたのかというお話も興味深かった。より具体的には,作成す
るのが大変であるため,歴史的には京都大学では作成を断念したという知識はあったが,神戸大学,
國學院短期大学を除き,ほとんどの図書館で著者目録,書名目録のみの作成が行われ,実際には辞
書体目録が作成されることはなかったというお話は興味深かった。
                                       (文責:鈴木嘉弘 元常葉大学,今野創祐 京都大学)