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日本図書館研究会特別研究例会(第289回)報告


日時:
2012年5月27日(日)10:30〜12:00
会場:
相愛大学7号館425教室 
発表者 :
伊藤昭治氏(日本図書館研究会監事,元・阪南大学教授;茨木市立中央図書館長)
テーマ :
私の図書館人生を顧みて : 若い図書館員に知っておいてほしいと思うこと
参加者:
60名
司会:
村林 麻紀

まえおき〈文責者〉

 公立図書館界に確かな活動歴,指導実績を持つ伊藤昭治氏(以下「伊藤」。他者にも敬称略)が,若い図書館員を主対象に熱く語りかけた。そこには「戦うことが少なくなった最近の図書館員に,基本を譲ることなく歩んでほしい」という伊藤の願いがある。この企画は図書館職の記録研究グループ『シリーズ私と図書館 5』(2011)を基盤としている。
 伊藤は同志社大学,小野則秋の主導する課程で司書資格を取得。同大学大学院文学研究科(日本文化史専攻)に進み,民俗学的調査,外書購読,古文書解読を通して「常民文化」を研究した。このようにキャリアは十分だが,実際は図書館関係授業に興味が持てず,3年を費やしたのち,1958年,神戸市立図書館に就職した。そこで大きな出会いがあった。

1.志智嘉九郎との出会い:1958年

 書庫係から始め,その仕事にやり甲斐をも感じた伊藤であるが,翌1959年,参考業務(相談)担当に転属した。『レファレンス・ワーク』(赤石出版)で名高い館長・志智嘉九郎が,「住民,世間に評価される司書を育てよう」としていたのである。伊藤を同著の執筆陣に加えたほか,他館との共通マニュアル「参考事務規程」作成に参画させた。「人間による専門的なサービスでなければならない」との伊藤の「図書館人としての誇りと信念」(伊藤の古稀記念論集のタイトル:出版ニュース社:2004)は,ここに起点を有している。

2.実態調査への着手:1960年

 1960年,目録利用の実態調査を行なった。よく使われる目録は何か,書庫出納の何割が提供できなかったか,すぐ返却される本の比率は?などを調べた。1964年,整理係に異動。目録に関する論文を連発した。館報『書燈』に「今の主題目録は十分探せるようになっているか-主題索引の必要性-」などを書き,「中小図書館の目録体系について:整理業務の省力化に関連して」を『図書館界』(以下『界』:23巻2号:1971)に発表した。
 伊藤の論壇登場は目録領域からで,現在では意外視されるかも知れないが,担当職務に立ち,利用面,『中小レポート』(JLA:1963)に収斂し,発表に繋ぐという,彼の研究スタイルの基盤が伺われる。

3.神戸市立長田図書館長に就任:1971年

 着任の4月,すぐ利用者の要求を聞いた。入館者制限を廃し,予約制度・ブラウン式を採用した。登録者は倍増した。同年7月,塩見昇,天満隆之輔等が来館,図書館問題研究会兵庫支部を結成。彼らとの緊密な交流が始まった。「利用票の分析-神戸市立長田図書館における利用者の要求」を『図書館評論』(11号:1972)に発表。児童室の運営でも予約制度を導入した(「公共図書館児童室運営上の諸問題」『界』25巻5・6合併号:1974)。
 1973年4月,日本図書館研究会(日図研)の理事に就任(理事長・森耕一)。2005年まで30年間理事を務めた。

4.東灘図書館長に転任:1974年

 経営の改善,予約制度の奨励,玄関の案内板に,「図書館は皆さんの読みたい本を集めてくる窓口です。お読みになりたい本がありましたら予約してください,できるだけ希望に添いたいと思います」と掲げた。新着購入図書の積極的な紹介。自習室の廃止。中央図書館建設担当主査を兼務。神戸市立図書館でNDLと図書館間貸出の利用開始。

5.アメリカ大都市の公共図書館調査へ:1975年

 1975年10月,JLAから森耕一とともに海外大都市の公共図書館調査に派遣された(『アメリカ大都市の公共図書館』JLA:1977)。課題を,児童奉仕,収集方針,施設設備の3つに集中して調査した。障害者サービス,黒人関係資料室などである。

6.神戸市立中央図書館新設:1973年起案1978年着工

 神戸市立中央図書館・博物館等新設のための調査委員会発足。図書館側の責任者を務める。建設調査委員会の審議,基本構想に対し答申書,建設候補地等について提案。設計は鬼頭梓建築設計事務所に決定し,「中央図書館建設の計画書」を作成。
 1975年3月,「神戸市立中央図書館建設の基本構想・答申書」を市長・教育長に答申。1978年12月,新中央図書館建設工事が着工された。

7.新中央図書館開館,資料課長就任:1981年

 1981年3月,新中央図書館竣工,4月1日開館式。利用は激増する(貸出冊数が1979年度の13万4,052から1981年度は87万8,810となった)。大量開架の結果,貸出回数の多い順から複数回借りられた本がそれぞれ何回,何冊あったか調べた。それは地域図書館の選書の参考になった。2割の蔵書で5割の貸出を,5割の蔵書で8割の貸出を支え,8%の資料費で50%の貸出を,50%の資料費で貸出資料の90%を支えている事が分かった。
 読まれない本を買わないために,一度も借りられなかった本を調べた。分類別(百区分)に貸出状況と借りられなかった本の比率を調べた。利用制限につながる事のないように紛失本の実態を調べた。

8.日図研・研究委員長:1979年

 1979年4月,日図研・研究委員長(1984年まで3期)。1980年,読書調査研究グループ結成。1980年前川恒雄が館長の滋賀県立図書館の委員になる。
 下記の論文を次々に『界』に発表した。
 「サービスの広がりとしての図書館建築の問題」(34巻1号:1982)。「公立図書館における大規模開架と貸出図書の分析」(35巻4号:1983)。「大規模開架の公立図書館において,一度も借りられなかった本の分析」(36巻3号:1984)。「公立図書館における蔵書構成の調整」(37巻3号:1985)。「図書館サービスの基本を徹底する」(38巻1号:1986)。「公立図書館における図書の紛失に関する研究」(39巻3号:1987)。これらの論文は『本をどう選ぶか-公立図書館の蔵書構成』(1992)に転載した。
 1983年9月,JLA図書館政策特別委員会に参加。『公立図書館の任務と目標』を策定した。

9.図書館観「貸出を増やすな」!?の激震:1985年

 上記のような通達が1985年,神戸市立中央図書館長から出された。選書へのクレーム,検閲・図書館の自由の侵害,研修の廃止,相互貸借の禁止などを巡って館内は混乱した。経緯は向井克明「貸し出しを増やすな-神戸市立図書館長通達」(『図書館が危ない』教育史料出版会:1986)に詳しい。

10.『三角点』に立つ論究:1987年

 この時期,「公立図書館を問いなおす 無料貸本屋をこえるとき」などの論が発表された。上記の神戸市立中央図書館長と同種の論旨だった。これに対し1987年7月,「誰のための図書館か-「無料貸本屋」論に惑わされないために」(『図書館雑誌』81巻7号)を書いた。また1987年10月,天満隆之輔,前川恒雄とともに創刊した『三角点』(2005年16号終刊)でこれらの問題を論じた。

11.東灘図書館長へ,再び:1986年

 1986年4月,中央館課長から再び東灘図書館長へ。
 1983年から1984年を境に,各地の図書館で利用の停滞が見られた。原因を利用者の要求と図書館の選択に遊離が起きていると見て,予約サービスの評価を徹底する分析を行なった。『界』に「利用者の資料要求の分析-予約図書を中心として」(40巻5号:1989)等を書いた。

12.神戸市退職,茨木市教育委員会転職:1988年

 1988年7月,茨木市教育委員会指導部理事兼図書館建設事務室長になる。
 1989年1月,職員の意識改革を図り,専門家に講師を依頼して館内研修を実施。
 1991年3月,茨木市立図書館長。
 1992年4月,茨木市立中央図書館長。貸出を増やす方策を実施。
 1992年8月,『本をどう選ぶか-公立図書館の蔵書構成』を日図研から刊行。
 1993年4月,同志社大学非常勤講師10年余。
 1993年4月,日図研・図書館研究奨励賞選考担当理事:2004年まで。

13.阪南大学教授:1995〜2004年

 受講生の姿勢には大きな違いがあり,自分が図書館の職員に向いているかは図書館実習で判断させた。
 2004年2月,古稀記念論集『図書館人としての誇りと信念』刊行(古稀記念論集刊行会編:出版ニュース社)。
 2005年4月,日図研・監事(現在に至る)。
 2005年4月,日本図書館情報学会理事(2007年まで)。

14.三木市の図書館指導専門員となる:2007年

 職員研修の内容と成果。行政当局は図書館活動の変化には無知だが,司書,市職員から反響があった。

15.『談論風発』:2006年〜

 2006年4月,伊藤が大切にしていた『三角点』の後継として,『談論風発』を発刊(田井郁久雄,馬場俊明,薬師院はるみ,山本昭和と共に)。

16.読書調査研究グループと:今も

 「利用者の方を見て考える事」「根拠やデ-タを踏まえる事」「広く全国(他国も)の状況を見渡して考える事」「自分の頭で考え,人に伝えられるよう,文章にする」等が伊藤を軸に,確認されている。

付記〈文責者〉

 今般の伊藤の講演はその後続者への箴言であろう。  “戦い"の軌跡と後進,若き日の神戸市,志智嘉九郎などへの篤い思いが示された。

(記録文責:志保田務)