TOP > 大会・研究会等 > 研究例会 > 2008年度 > / Update: 2008.11.27
三宅講師は、石井桃子の翻訳者,作家,編集者、子どもの本の大先達としての70年以上の活動を尊敬の念をもって振り返った。下記の6つの構成で2時間たっぷり語っていただいた。
石井桃子は児童文学普及に貢献した第一人者であるのみならず文学界の最長老で、日本芸術院会員であった。彼女とほぼ同時期に高齢で亡くなった小説家・翻訳家の高杉一郎にも言及し、同氏にも石井桃子同様に明治時代人の強靭な文学精神を見てとった。
『ノンちゃん雲に乗る』(1942年に書き始め1947年上梓、1951年光文社刊、1953年第1回芸術選奨文部大臣賞受賞)が有名であるが、三宅氏は、石井が自身の幼年時代を描いた『幼ものがたり』(1981年)を最高傑作とする。なんとない明治から大正の時代が平明に綴られているからとする。たとえば、埼玉県立女子師範附属小学校で当時(1913年前後)としては珍しい学級文庫に出会い、巖谷小波の『世界お伽噺』を読んだことなどが綴られている。1995年、約8年がかりの自伝的長篇小説『幻の朱い実』上下(1994年、岩波書店)で読売文学賞を受賞。なお、絵本も著している。『ふしぎなたいこ』(1953年)、『山のトムさん』(1957年)などである。
日本女子大学英文学科卒業後、作家・政治家の犬養健宅に犬養道子の家庭教師として入るが、1933年、犬養家で"The House at Pooh Corner"と出会い、感銘を受け訳し始める。1940年 12月岩波書店から『クマのプーさん』として翻訳出版。2003年、『ミルン自伝:今からでは遅すぎる』を岩波書店から翻訳出版。
1940年、出版社・白林少年館を立ち上げ、中野好夫訳『たのしい川辺』を出版する。1950年より岩波書店の嘱託となり、『岩波少年文庫』、『岩波の子どもの本』の企画編集に携わる。1953年、内藤濯に「おもしろいから」と勧めて訳させた『星の王子さま』を岩波書店から刊行。1954年、岩波退社。
1938年から犬養家の書庫を借りて児童図書館を始めたが社会の軍国主義化で閉館に至っている。1957年、家庭文庫を始めていた村岡花子や土屋滋子たちと「家庭文庫研究会」を結成(1964年に解散)した。桃子は1958年、荻窪の自宅の一室に児童図書室「かつら文庫」を開いた。1974年1月、盟友の松岡享子と約3年前から設立の準備を進めていた東京子ども図書館が財団法人の認可を受ける。1984年、第1回子ども文庫功労賞(伊藤忠記念財団)を受賞。1996年、石井桃子奨学研修助成金(東京子ども図書館)が始まる。
石井桃子の文体は端整で、分かりやすい。特に幼年文学はそうである。版を重ねる度に手を入れている。それほどに丁寧なのである。石井の各作品の異なる版における同異を検証するような研究を児童図書館員がやってはどうか。そして常に子どもの読者の反応に学んだ。
前章で述べた<かつら文庫>を軸に記した『子どもの図書館』(1965年)に彼女の、子ども読者を中心に考える理論と実践の高さを見てとる。同書は、結語部分で、公が児童図書館活動に傾注すべきことを訴えている。発表者は、その線上に、再編が大問題となっている、大阪国際児童文学館をとりあげ、図書館の世界が強く発言すべきことを示唆した。ちなみに発表者は、英文学と児童文学を学び教えた大谷女子短大で図書館司書の経験を有している(注)。
(記録文責 志保田務)