TOP > 大会・研究会等 > 研究例会 > 2006年度 > / Update: 2007.1.17
志智嘉九郎氏は,昭和23(1948)年1月,神戸市立図書館長に就任され,レファレンス・サービスを中心に先駆的な活動をした。今回の例会では,志智氏の身近で働いた伊藤昭治氏が,志智氏の業績について今の人たちに知っておいてほしいと思う事柄を紹介された。
特に,レファレンス・サービスを始める契機,その対象に考えた人,当時の館界の軽率な言動,公共図書館の公共性からくるレファレンス・サービスの制約,提供する資料の信憑性の問題,「参考事務規程」の作成の経緯,『レファレンス・ワーク』刊行の意義,「志智氏のレファレンス」に対する批判,レファレンス以外で志智氏が手がけた先駆的な活動の詳細,図書館職員育成の問題など,これまであまり知られていないことが話された。
最近の図書館界の動向に対して,先人の業績を知りその成果を学ぶという姿勢が今こそ必要でないか,といった論旨で志智氏の業績を語る内容であった。
初めに,志智氏の経歴,彼の著作を示し,彼の教養の広さが紹介された。志智氏は現実を離れ図書館業務の理想的なあり方などを主張するタイプではなく,この貧弱な図書館を如何にして少しずつでも前進させるか,ということにひたすら思いを秘めている実務家であったという。そのため現実を超越した理論のための理論には常に反論していた。
昭和23年,志智氏が図書館に勤めた1年間の実務改善の内容を見ても,彼の性格と行動力はわかる。『書燈』の刊行,児童巡回文庫の開設,館内に学生文庫(開架接架式閲覧),読書相談部を設けてテレホンサービス,読書相談を行った。大規模な公開図書室を設けた,米国の300団体に図書寄贈の依頼を発送,日曜日休館を月曜日休館に変更,著名人を集めて図書館討論会の開催,などなどである。
昭和24(1949)年頃,図書館の利用者は大部分が学生であり,一般市民は図書館で本を読んだり借りたり,それどころではなかった。何よりも食べることが第一の時代であった。それに図書館費も微々たる額であった。そうした中で経費を要さず,図書館員の努力で,図書館と住民をむすび,図書館を住民の生活に食い込ませる有力な手段として,志智氏はレファレンス・サービスを始めた。そこでの志智氏の逸話や当時の大学図書館のレファレンスの状況,専門的な質問への対策,提供資料の信憑性の論議,ビジネス・ライブラリーへの先駆的な動き,レファレンス・ライブラリアンの対応,などが話された。
志智氏は,公共図書館の公共性からくるサービスの制約(禁止事項と制限事項・除外事項)についても見識を持っていた。禁止事項と制限事項は主として図書館の公共性からくる制約であって,その程度の強・弱を示したもので,例えば医療または投薬の相談に対しては,図書館員に相談に応ずる能力がないという問題は別としても,この質問に対しては資料を提供することもしないことを原則とした。発表者の伊藤氏は,「最近“ビジネス支援”に続いて“医療支援”もやろうなどという図書館も出てきているが,医療の専門家がいなくてこんなことが出来ると思っているのだろうか」との疑問を話題にされた。志智氏は,良書推薦も除外事項にした。
昭和28(1953)年,近畿地区の研究集会で参考事務規程の作成が要望されてから,完成までの経緯が紹介された。「神戸市立図書館相談事務規程」の作成,それをもとにして「参考事務規程」が作られたこと,その解説として『参考事務規程解説』が刊行されたことなどである。参考事務分科会の活動も活発で,まさに学会であり専門職集団であったという。その後,神戸市立図書館の実情をもとに志智氏が『レファレンス・ワーク』(赤石出版,1962)を刊行したが,その意義は大きい。
志智氏の業績はレファレンスだけではない。昭和24年に開設した公開図書室は全国で最初の大規模な試みであった。昭和33(1958)年に開設した長田分館は,書庫の無い全面開架の図書館であり,施設面で注目をあつめた。保存図書館の提言もある。これまでのような保存が図書館の役割だからという主張ではなく,存在価値を失った本を抱え込み,蔵書が多いということだけを誇りにすることを憂いての発言であった。『全国公共図書館逐次刊行物総合目録』作成の提案も志智氏である。また,神戸の中心地・三宮駅前に図書館を建設している。当時は何処にもない発想であった。こうした事例を紹介し,志智氏の先見性を明らかにした。
そして最後に,志智氏の人柄を紹介した。名前と学歴から漢学者タイプを想像する人もいるようだが,蝶ネクタイの似合うスマートな人であること,「古今東西 森羅万象」「ダイヤルのなかの図書館」「会して議し,議して決し,決してこれを行わず」などの志智嘉九郎名言集の紹介もあり,志智嘉九郎氏の人柄を滲み出させる話であった。
今例会は,29名という最近の例会では群を抜く参加者の多さであった。伊藤氏の危惧しておられる「先人の業績に学ぶ」ことの少なさの目立つ現在において,多くの来聴は嬉しいことであった。志智氏と同じように伊藤氏もまた人を育ててきたのだ,と感じた例会でもあった。
(文責・村林麻紀 八尾市立志紀図書館))