TOP > 『図書館界』 > 61巻 > 3号 > 座標 / Update: 2009.9.7
6月1日の朝日新聞第1面は,『図書館 進む民間委託 新サービス 利用増』として,図書館事情を紹介している。今なぜこの報道なのかわからないが,課題や問題点も指摘されているものの,記事の三分の二は指定管理者やIT導入によるサービス向上を謳う図書館の紹介である。
さらに,6月20日の同紙25面の「オピニオン」では,『売れ筋本ばかりの図書館はいらない』と題して『「本殺し」の現場を歩いてきた作家』佐野眞一氏の見解が,記者との対談形式で掲載されている。ここでは,市民の願いに応えようとする図書館が「ポピュリズムの果ての,金太郎飴のような図書館のいかに多いことか」と切り捨てられている。
これら一連の記事は,図書館現場にとりわけ指定管理者制度の導入に取り組む自治体の図書館に深刻な影響を与えることになる。何とか直営を維持しようと,臨時職員を削減するとともに,開館時間を短縮し休館日を増やすなど,市民サービスを縮減せざるを得ない状況を自ら作るというつらい決断をしている。それでも,自治体財政の窮迫状態はますます深刻化する中で,指定管理者制度に期待をつなぐ自治体の思いはなかなか消し去ることができない。
そこにこの記事である。やはり民間に任したほうが新しいサービスや,人件費の軽減につながるではないか。図書館がなぜ反対するのか理解できないといった見解が飛び交うことになる。そして,今や民間でできる事業は民間に任せればよい。行政はその事業を管理すればよいのであって,契約で管理すべき要求水準や業務範囲を盛り込めば済むことだと主張することになる。
それにしても,なんという安直な主張であろうか。そこには,図書館と利用者が長い時間をかけて積み上げた蔵書と職員への信頼や経験に裏付けられた職員の能力といった財産は全く考慮されない。ただ,経費を落としサービスを延長すれば市民は喜んでくれるということだけである。市民にとっても失礼なことだと思う。図書館にやってくるもの言わぬ人々の思慮深さや真実を見抜く力の高さを思えば,とてもいえることではない。
こうした導入経過や理由については,指定管理者制度を導入した図書館からいくつも報告されているし,数々の反論も出されている。しかし,これらの反論をいくら主張してみても,聞く耳すら持ってもらえず,冷たい反応が返ってくるだけとなる。ここに至って,ようやく指定管理者制度の導入を前提として減額が検討されていることに気づかされることになる。そして,こうした事態に直面して初めて,この問題に取り組むことの困難さを知ることになるのである。
このような時に,何ができるであろうか。もちろんここまでの事態に陥るまでに,反省する材料はいくらでもある。しかし,ここに至っては,図書館の協力者をどれだけ得られるかにすべてがかかることになろう。教育委員会,行政内部,議会,市民とあらゆる人々に図書館の立場を説得するしか道はないといってよい。さらに,説得できるかどうかは,図書館が今日まで積み重ねた日々の活動にかかっていよう。どのような図書館観をもって,市民に何をしてきたのか。市民はそれをどのように評価し,その市民の評価を行政はどう見てきたかということである。
もちろん,行政にはこのような評価すら考慮できないほど財政が逼迫していることもあろう。しかし,図書館で削減できる金額は知れたものである。せめて,そのわずかな金額と失う財産を天秤にかけるほどの理事者であってほしいと願うばかりである。市政を担う人々は,常に決断の連続であろうが,決断の根拠を見失わないでほしいのである。なぜなら,行政施策の本質が,次のことばにあると思うから。
「行政施策の選択は,図書館の本の選択と連なっているという感じが,私は非常に強くするんです。良い政策をとることによって,住民の自治意識といいますか,要求の質が,レベルが,高くなるのです。くだらないことを行政がやればやるほど,くだらない要求に市民が堕落し,それを正義のように思ってしまう。」(『図書館を考える』前川恒雄,p.48より)
(たけしま あきお 理事 栗東市立図書館)