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《座標》
『図書館界』66巻5号 (Jan. 2015)

因果応報,因果はめぐる糸車

山本 順一

 因果律は,自然界と人間界を支配する。この国の図書館という業界もまたこの因果律に服さざるを得ず,今日の状況はこれまでのこの業界の努力と怠惰を如実にあらわしている。

 先日,‘図書館制度・経営論’の読み替え科目,経営学部の専門教育科目である‘図書館経営の理論と実践’という科目の授業の一環として,学生5人を引き連れ,地元の指定管理者が経営する駅前の公立図書館の分館を訪れ,見学させていただいた。休館は月1回の館内整理日と年末年始の6日,そして年1回1週間以内の特別整理期間で,年間340日以上開館している。そこに利用登録をしている市民は2013年3月現在56,000人あまり,2013年度の個人貸出冊数は85万冊を超えており,延べ貸出人数は21万人を数える。おりがみ教室,紙ヒコーキを飛ばそう,楽しいハロウィン工作,おはなし会,むかしあそびをしよう,こどもまつりなどさまざまなイベントを開催し,参加者も予想を超えることが少なくないようである。2003年4月の開館以来指定管理者である企業の社員として図書館業務に従事されてきた,直営ではなく,公設民営の図書館運営の苦労話をされている現在の分館長さんの話を聞いて,日頃この図書館を利用している学生たちには‘公共経営’のひとつの具体的な姿を脳裏に刻みえたようである。

 従来,わたしも含めて,図書館関係者は,公立図書館の運営は指定管理者制度にはなじまないと言い続けてきたし,主務官庁である文部科学省も公式には公立図書館経営の丸投げである指定管理者は望ましくないとしてきた。しかし,見学をさせていただいた分館にとどまらず,地元和泉市の市立図書館はその公立図書館システム全体が特定の企業を指定管理者として運営されている。大阪府下の公立図書館の多くはすでに指定管理者によって運営されてしまっており,不可逆な歴史的現象の様相を呈している。

 ひるがえって,勤務先の大学の配慮によって,2013年9月から2014年8月までアリゾナ大学のライブラリースクールでvisiting scholarとして研修をさせていただいた経験からすれば,いささかおかしいとの印象はぬぐい難い。というのは,帰国後,『図書館の民営化』というタイトルをもつ翻訳書を手に取った。今日の日本の図書館界の状況を考えれば,アメリカの図書館界の現状に照らせばほとんど無視しうる微細な動きをことさらにとりあげた訳書をこの国の半可通の人たちに与えれば,針小棒大のイメージを植え付け,誤解を与えかねない。アメリカのライブラリアンたちは,すでにエンベデッド・ライブラリアンたらんとして,サービス対象であるコミュニティのなかに飛び込み,具体的現実をデータとして理解し,コミュニティの空気を体感しながら,図書館の外に舞台を求めようとしている。日本の素晴らしい指定管理者の経営する図書館は,まだ図書館の内部に映り込んだコミュニティの虚像を相手に図書館内部で展開されるサービスに終始している。

 財政が逼迫している状況が同じでも,アメリカ図書館協会はまだその兆候を示しているに過ぎない段階で公設民営の公立図書館の危うさに対して予防的に警鐘をならすのに対して,凡庸な日本の図書館人(間違いなくわたしもそのひとりである)と図書館協会は歴史の流れに抗することができず,因果律に支配され,労働者としての図書館員と専門職としてのライブラリアンを育て守ることもできず,図書館のうちにこもる立派な指定管理者の図書館の華やかな活動を指をくわえて見守っている。

 図書館史研究にしても,プトレマイオス1世,ガブリエル・ノーデ,ゴットフリート・ライプニッツやジョージ・ティクナー,メルヴィル・デューイ,ジョン・コットン・デイナ,そして石上宅嗣,佐野友三郎などをしっかりと伝えることには意味がある。しかし,ほのかに,しかし確実に未来を照らす成果を示さず,大方は時代に絡め取られ,トレンドに生きた少しだけ優秀な図書館人を無理矢理拾いだし,針小棒大に評価する傾きのある,好事家を歓ばせるだけの図書館史研究には大きな意味はない。

(やまもと じゅんいち 理事・桃山学院大学)