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《座標》
『図書館界』64巻1号 (May 2012)

図書館という空間と図書館研究

川崎 良孝

 1885年にS.ルイス(Sinclair Lewis)はミネソタ州ソークセンター(Sauk Centre)に生まれ,1920年にMain Street(『本町通り』)を出版した。この小説はアメリカ中西部の小さな町の住民が抱く価値を非難したのだが,ソークセンターを舞台にしているとされる。当地の公立図書館がルイスに最新作の署名本を求めたとき,ルイスは自作を寄贈し,そこには「ソークセンターのブライアント図書館に愛を込めて。同館の図書が最大の冒険であった時代を生き生きと回想しつつ」と書き添えられていた。少年時代のルイスにとって,図書館は外界との知的冒険を可能にする唯一の空間であった。

 アメリカ大都市で最初のボストン公立図書館は1854年に開館し,1895年にはコプリー(Copley)広場に壮大な新館を建設した。有名な建築家マッキム(C. F. McKim)が設計し,「人びとの宮殿」とされた。この建物は現在でも研究図書館として健在である。ユダヤ人のM.アンティン(Mary Antin)の一家はロシアのポロツク(Polotsk)から移住し,1894年にボストン地域に住み,1901年にはニューヨークに移っている。アンティンは熱心な同化政策主義者になり,自叙伝The Promised Land(1912)は有名である。同書でアンティンはボストン公立図書館を回想した。図書館は「お気に入りの宮殿」で,「放課後は毎日利用」し,玄関では銘刻「公立図書館−人びとが建てる−すべての人に無料」を読み返したという。続いて次のように述べる。

私は市民なので,[この建物は]私の宮殿です。外国生まれでも私の宮殿です。ドーヴァー街[下層地域]に住んでいても,私の宮殿……私のものです。

 さらにユダヤ人強制集住地域で生まれ,本と無縁に育った自分が,膨大な蔵書の中にいることを「奇跡」と述べている。

 ニューヨーク・パブリック・ライブラリーの本館は1911年に完成し,現在も5番街と42丁目通りの交差点で威容を誇っている。玄関前には図書館のシンボルの大きなライオン像が2つある。J.ボールドウィン(James Baldwin)はM.ミード(Margaret Mead)との対話で,13歳の頃にはハーレム分館の本をほとんど読んでいたと述べている。一方,ボールドウィンの小説『山に登りて告げよ』(1953)の主人公(黒人青年)はライオン像が好きだった。またこの本館を利用する権利があることを知っていたが,決して入りはしなかった。それは次の理由による。

巨大な建物なので,……迷い込み,ほしい本も探せないだろうと思うと,ついぞ足をふみ入れたことはなかった。そんなことになろうものなら,中の白人たちはみな,彼が大きな建物や沢山の書物に不慣れなことに気付いて,憐れんで見るだろう。

 「彼」はこの図書館の壮大さと複雑さに威圧され,同時に館内の白人の反応に恐怖を抱いている。これは十分にボールドウィンの体験でもあったろう。

 ルイス,アンティン,ボールドウィンの経験は,図書館という空間自体が多様な場であることを示している。図書館研究は大体において,「図書館から」利用者をみてきたと思われる。図書館長,図書館理事,図書館関係団体などの報告,主張を分析するのは,何ら非難されるべきではない。しかし「利用者から」図書館をみることによって,図書館や図書館専門職が価値を置くことと現実との齟齬,あるいは通説とされていることの捉え返しが可能になり,図書館へのいっそう豊かな理解が可能になると思われる。そうした方法論的な検討に,図書館研究は力を入れるべきであろう。

参考文献

(かわさき よしたか 理事長・京都大学)