TOP > 『図書館界』 > 63巻 > 6号 > 座標 / Update: 2012.3.4
今号の特集記事にも掲載のとおり,2011年11月に第8回国際図書館学セミナーが開かれ,「図書館というスペースを考える」というテーマのもとでの様々な発表があり,2日目最後のシンポジウムでも様々な意見が出された。私自身,あまりこのようなテーマについて考えることがなかったが,発表者ということもあり,このセミナーへの参加は,このテーマについて色々考えるいい機会となった。
本誌の全体報告にも記したが,2日目のシンポジウムの最後に,発表者ひとりひとりに対して感想が求められた際,私は,図書館は映画館とよく似ている,というようなことを述べた。時間の関係もあり,このときには簡単にしか述べられなかったので,今回はこの見解についてやや詳しく書くことにする。
このセミナーでは,インターネット環境やそこから情報を入手する手段が一般にすっかり普及した現在において,図書館はどのようなスペースとして存在し,また,将来どのような姿になるか,ということに焦点を合わせる発表が多かった。
すでに言い尽くされていることであるが,インターネットの普及により,娯楽や課題解決などの様々な目的を達成するために必要となる資料や情報を入手する手段が多様化している。わざわざ図書館を通じてこれらの資料や情報を入手する必要性は,ますます小さなものとなっている。例えば,インターネット書店(古書店も含む)では,大抵の書籍や雑誌が入手できる。無料で利用できる様々な検索ツールや情報源も,ウェブ上をはじめとして様々なところに存在し,昔に比べれば容易に情報を入手することができる。
それならなぜ図書館が必要なのか,というとき,よく言われるのが,情報の洪水からそれぞれの利用者が必要とする情報を効率よく抽出し,提供する,いわば「資料や情報の水先案内機能」「利用者と資料・情報をつなぐ機能」が図書館に求められるからだ,という見解である。そして,資料や情報,そしてその探索技術,提供方法などについて精通した,専門職たる司書の存在が必要不可欠,というようにつながっていく。
ただ,このような見解だと,図書館が現実世界の場として存在する必要性は薄くなってしまう。資料や情報と利用者とをつなぐ水先案内的機能であれば,バーチャルな場でも十分対応可能ではないかと思われるためである。
ところが,今回のセミナーの各発表では,バーチャルな場としてはもとより,現実世界の場としても図書館が機能している事例が多く紹介された。また,このような流れを理論として裏付ける発表もあった。つまり,図書館という「場」を,単に資料や情報を入手するだけの存在に止めるのではなく,それ以外のもの,例えば,居場所のない子どもたちがくつろげる場でも,利用者相互間の新たな交流の場でも,先に述べた情報の水先案内を受ける場でも,最先端の技術に触れる場でもよいが,そういう,図書館という「場」でしか得られない何かを,求めがあれば資料や情報とともに,得られるように設計する流れである。
それで,このような資料・情報と図書館の機能と類似するものとして,映画と映画館の関係に着目したわけである。何十年も前から,映画はすでに映画館でしか観られないものではなくなった。DVDやブルーレイといったソフトで売り出す,レンタルもする,地上波・BS・CS・CATVで流す,インターネットで流す,ということが行われ,映画館以外に映画を観る手段は多様化してきた。このような環境の下で,人はなぜ映画館に行くのか。それは,最初に視聴できるから,ということもあるだろうが,あの映画館という空間で提供される,例えば,映画館の大スクリーンと迫力ある音響設備,他の観客と一緒に泣き笑いする経験,暗い空間などを目当てに来場する,ということもあるのではないのだろうか。
これからの図書館も,映画館と同じように,利用者が図書館でしか得られない何かを求めて来館する,そういう場として発展するのではないか,今回のセミナーで改めてその思いを強くした次第である。
(みなみ りょういち 国立国会図書館関西館)