TOP > 『図書館界』 > 61巻 > 4号 > 座標 / Update: 2009.11.3
ことしもまた本務校と他の大学で司書講習の講師を務めた。本務校では,はじめての経験であるが,今年は司書補講習の講師まで演じることになった。かつて若い助手の頃には,現在の科目立てでいえば「情報サービス概説」や「レファレンスサービス演習」に相当する「参考業務」や「同演習」を担当したこともあり,助っ人として馳せ参じる場合には「図書館サービス論」「専門資料論」や「図書及び図書館史」を持たされることもあった。その場合には,図書館職員としての情報探索・提供の面白さ,利用者に対するホスピタリティの精神と資料知識の大切さ,大方の無責任なテキストがいうような禁じ手はなく情報提供には文献情報ないし公表された情報であればそれを利用すればよいこと,素晴らしい外交技術を示したクレオパトラが(おそらく)幼少のみぎりからアレクサンドリア図書館のヘビーユーザーとして育ち,いまなお大学受験生を悩ましている積分の記号を考案したライプニッツが図書館で働き図書館で死んだこと(近代まで図書館職員は館内で起居した)などを,自分自身も楽しみながら,面白おかしく話し,図書館職員の仕事と生活がいかに素晴らしいものであるかを伝えようとしてきた。
しかし,大酒呑みの藤野幸雄先生と酒をまったくたしなまれなかった藤川正信先生のもとで薫陶を受けたこともあってか,最近では,司書講習の皮切りの「図書館概論」を担当することがほとんどとなっている。法学の分野でいえば「法学入門」,経済学の分野でいうと「経済学入門」に相当する総論的入門篇の科目である。ライブラリアンシップを分かりやすく説き,その実践への道筋をつけるには,図書館現場がいかに魅力的であるかを受講生に伝えなければならない。20年ほど前であれば,前任地の学校では卒業生の4割が図書館に就職し,出稼ぎの司書講習の修了者も少なからず正規の採用試験に合格し,そこそこの給与が保障される‘天職’にありついていた(よほどのことがない限りやめることはなく,定年までライフワークを楽しむことができる)。ところが,現在では,図書館の正規職員のマーケットは大きく縮退し,めでたく司書資格を得ても並大抵の努力では‘天職’への道は拓けない。せいぜい同質の仕事に従事しながら勤務時間と待遇を制限された手取り月額12万円程度ボーナスなしの‘非常勤専門職員’や嘱託職員となるか,臨時職員,派遣職員,アルバイト,あるいは指定管理者となった大手企業やNPO法人等に雇用される場合は時給850円の労働基本権を享受できないワーキングプアの惨めな生活が待っているにすぎない。
非正規労働者たちが待遇改善を求めて行うデモ行進の先頭には,決まって図書館で働く若い人たちの一群が頑張っている。図書館に限らず,若い人たちの就職難は,先進諸国を含む世界の多くの国々に共通する政治課題である。日本の司法の世界では,当初喧伝されたところとは大きく異なり,法科大学院を修了しても新司法試験の合格率は信じられなく低い。その難関を突破し,司法修習を終えた優秀な人たちのなかにさえ,就職が思うにまかせず,年収300万円の人たちがいる。この国においては,需給関係を考慮したはずの専門職養成である法律実務家の世界がこのような体たらく。産婦人科医や小児科医,救命救急医などが払底している医師養成も見事なまでに失敗している。福祉の分野も多くの国家資格が作られ,修得が求められる知識とスキルの水準が引き上げられているが,待遇は極めて低く,大学の福祉系学部は受験生からそっぽを向かれている。
欧米諸国では曲がりなりにも専門的職業とみなされているライブラリアンについても程度の差はあるにしても,同じようなものである。日本では‘司書資格’というもっともらしい道具と建前はともかく,誰でもできる‘公設無料貸本屋’の店員としかみなされていない。いまの日本のいい加減な制度設計と運用が生み出した図書館職員マーケットは容易には改善できない。これを改善するには,‘革命’以外の手段はなかろう。ときあたかもこの国には珍しく‘政治の季節’。「図書館概論」を担当するものは,見果てぬ夢だと知りつつも,フランス革命,アメリカ独立革命というアナクロニズムに浸りながら‘図書館革命’を説く必要がありそうである。
(やまもと じゅんいち 理事・桃山学院大学)