TOP > 『図書館界』 > 58巻 > 5号 > 座標 / Update: 2007.1.17
司書養成のための新カリキュラムがスタートしてちょうど10年になる。日本図書館協会の図書館学教育部会は,今年度第1回の研究集会を昨年4月29日に「司書課程とカリキュラムの10年:1996年カリキュラムとこれからを考える」と題して開催した。新しい時代の専門職として,司書に求められる素養とそのため養成に必要とされる新カリキュラムが,一定の年月を経た今問い直されている。もちろん新カリキュラム自体は,当初からその不十分さと改善の具体案(最低限必要な内容としての24単位案)が当該部会から出されていたのだが。制度改革の動きは,新しい時代における図書館情報学教育の再構築を目指すLIPERの調査報告にも現われている。
そしてこのカリキュラム改訂後最初に編集・刊行されたJLA図書館情報学テキストシリーズも,ちょうど一区切りして本年4月には第2期シリーズが刊行される運びとなっている。筆者もその第10巻『資料組織演習』に関わっているが,この間10年で,資料組織化に纏わる情勢もさま変わりしてきた。
ひとつは,インターネットの普及に伴い,検索エンジンを用いた主題検索(サイト検索)が急激に普及してきたことである。これまでの図書館界のツールの枠を大きく超える規模で,情報検索サービスの市場に登場してきた。しかし現在の検索エンジンが内包する重要な課題のひとつが,知る自由,知る権利に関わる問題として露呈した。検索エンジンのシステム自体がブラックボックス(企業秘密)で,そこから出力される情報が恣意的にコントロールされる危険性である。例えば昨年6月14日の毎日新聞には,「米国企業のグーグル,ヤフー,マイクロソフトの3者が市場をほぼ独占し,技術も公開していないため,ネット社会での情報の恣意的な管理や,日本企業の事業機会が失われることが懸念されていた」とし,「日本独自のインターネット情報の検索エンジンの開発に乗り出す。…2年以内の実用化を目指す。国も予算面などで支援する」との記事が掲載された。検索エンジンGoogleが,2006年1月に中国でサービスを開始した際に,時の政府に批判的なサイトを表示しないこと(いわゆるフィルターリング)が問題となった。運営企業による情報の恣意的な提供が,知る自由をないがしろにし,検閲を許しかねない危険性をもつ。この種の問題は,企業ベースで管理され,民主・公開の基本原則が守られない社会では,決して消え去ることはないだろう。
もうひとつは,主題組織化の手だてとして提供されてきた分類システム(NDC)がどれだけ利用者に理解され使われているかである。近年はOPACのさらなる普及で,筆者の住まい近くの町立や市立の図書館でも使えるようになってきた。子ども達や老人の利用を配慮してタッチパネル方式等を採用する館も多い。カード目録時代と比べよく使われるようになったが,分類記号から検索できるシステムは少なくなった。またカード目録時代は目録の側近くに置かれていたNDCが消えてしまったように思う。実際,日本図書館協会目録委員会の悉皆調査(1997年度)によると,分類記号から検索できるOPACは,公共図書館では4割弱で件名検索できる館より少ない。一方蔵書は公共を始め学校,大学等の図書館もほとんどがNDCにより分類排架されている。
筆者がここ20年来,毎年授業の始め頃に司書課程学生に対して調査してきた結果を見てみると,8割近い学生は小・中・高の学校時代にNDCの利用指導を受けた覚えはないとしており,分類記号から検索できるものは1割にも満たない。また授業の最後にNDCを学んだ感想を尋ねた結果は,その多くがレポート作成等で資料探しがしやすくなったとしている。学校時代に教えてくれていたらよかったとする学生も少なくない。この授業の中で彼らによくする例え話を紹介すると,「英語を学び始めた頃には側に英語の辞書がなかったら困るだろう。図書館内のいわばNDC(語)が通用する世界では,NDC順に並んだ蔵書を探すのに,分類表(いわば英和辞典)や相関索引(和英辞典)は欠かせない。それらが利用者のすぐ手の届く所になくてはこの世界のストレンジャー(迷い子)になってしまうだろう」。
せっかく多大な人手や費用をかけて提供されてきた分類システムが,有効に活用されることを願って今,再度問いたい。“Classifications are for use”と。
(よしだ けんいち 理事・天理大学人間学部)