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《コラム http://wwwsoc.nacsis.ac.jp/nal/》
『図書館界』52巻5号 (January 2001)

OPACの標準化を

渡邊 隆弘

いよいよ21世紀。勤務館では電算機更新と重なり,新しいOPACが利用者に提供されているはずです。本稿執筆時点ではまだテスト段階なのですが,10年以上前の初代OPACと比べれば,アクセスポイントも飛躍的に増え,はるかに使いやすくなりました。

しかし初期のころと変わらないのは,各館で提供されているOPAC間での統一性のなさです。
上田修一氏らの調査によると(「図書館目録利用者像の転換とOPAC」第47回日本図書館情報学会研究大会発表要綱,1999 http://www.slis.keio.ac.jp/~ueda/uedaopac1.pdf),ある特定の図書を,書名・著者を示す10通り(ワカチや文字表記を変えて)の探索項目で探してみるという実験を16機関(大学)のOPACに行ったところ,どのOPACでもヒットするのは「書名の完全形」だけで,後はばらばらという結果がでています。著者名からの検索で,姓名間に空白をあけるのか続けるのかというごく単純なことでも,「空白が必須」「空白を許さない」「どちらでもよい」が拮抗しているような状態です。
筆者の経験でも,利用者としてはじめて訪れた図書館でのOPAC利用は,勝手がわかるまで戸惑いを覚えることしばしばです。

カード目録ではこれほどの状況はありませんでした。目録規則の「標目」の部分では,何を標目とするのか,どういう形で標目とするのか,が細かく規定されていますし,それに従って作った目録カードは音順に並べるしかなく,結果としてどこへ行っても大体同じような目録ができあがっていました。学生時代からいくつかの図書館でカード目録のお世話になりましたが,はじめての図書館でも検索への戸惑いははるかに少なかったように思います。

MARCや書誌ユーティリティの浸透で目録記述自体の標準化は大きく進み,コピーカタロギングが中心になって各館の主体性や独自性などは望むべくもないという意識すら作業の現場では強くなっているのですが,作られたデータの出口のほうは裏腹の状況にあります。<
カード作成作業の根本的制約から解放され,コンピュータの能力と創意工夫を生かして,様々なアクセスポイントを考えることが可能になったわけですが,そうしたOPACの潜在可能性が逆に仇となって,検索方法は無法地帯ともいえる状態になってしまいました(ヨミやワカチガキといった日本語独自の問題も大きく作用しており,欧米よりなおいっそう深刻な事態にあると思います)。OPACの課題としては「主題検索」や「典拠コントロール」などが指摘されることが多いですが,それ以前の問題です。

もっとも,OPACを支えているデータベースや情報検索といった分野はいまなお盛んな研究がなされており,そうした中で標準化を考えていくのは容易なことではありません。「新たなやり方で」「人のやらなかったことを」といった志向が創意工夫のエネルギーとなるのも確かであり,「とにかく決めてしまうのだ」という強引な標準化は進歩の阻害要因にもなりかねません。筆者は現在電子図書館システムの開発・運用に携わっていますが,まだ本格的には数年程度の歴史しか持たない電子図書館の世界では,現時点で標準化を急 ぐより,各機関が将来標準化がなされた場合の対応をにらみながらも独自によりよいシステムを追求していく「百花斉放」の状態を当分続けたほうが生産的だと考えています。

しかし,OPACに関しては,(わが国での)黎明期から十数年が経ち,これだけ当たり前の存在になったのですから,そろそろ標準化のほうに振り子を揺らすべき時期です。同じ館種同士ではもちろんのこと,公共・大学・学校の館種間でも基本部分をできる限り統一 することで,情報教育・利用教育もより実あるものとなると思われます。
探索質問と返戻データの形式を統一することで複数データベースに同一インターフェースでアクセスできるようにする情報検索プロトコルZ39.50が広まりつつありますが,データベース構造やインデクシング方法の異なるものまで同じように検索できるわけではなく,万能薬にはなりえません。
実際にシステムを作っているメーカー・ベンダーの理解・協力を得ながら,館界のイニシアチブで標準化を進めていくことが求められています。

(わたなべ たかひろ 神戸大学附属図書館)