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《コラム http://wwwsoc.nacsis.ac.jp/nal/》
『図書館界』52巻3号 (September 2000)

『IT革命』・『デジタル・デバイド』と図書館

村岡 和彦

 「デジタル・デバイド(Digital Divide)」という語をよく目にするようになった。情報流通や諸手続がデジタル化・ネット(通信)化する中で,コンピュータなどデジタル機器を使う能力・機会の有無がそのまま社会の構成員としての格差を生み出す状況を指す。訳 語はいくつかあり安定していないが,最近の洋画タイトルと同様,原語をカナ読みした「デジタル・デバイド」で定着しつつあるようだ。
日本で注目されはじめた直接のきっかけは,今年1月クリントン大統領の予算教書が「すべての人にとってコンピュータに触れ,それを使いこなすことは重要なことだ。即ち,私達はツールを持つ人と持たぬ人との間のdigital divideを断ち切らねばならない。」と述べ,学校・図書館そして地域の施設がインターネットに接続され公開される施策を示したことだった。7月開催の沖縄サミットの重要課題としても「デジタル・デバイド」が挙げられた。

 こうしたことから,「デジタル・デバイド」を新しい概念とする論調が多い。また,それはインターネット先進国のアメリカでの状況であって日本では状況が異なると指摘する向きもある。確かに,有名企業の就職情報・受験手続きがインターネットでしか受け付けられなくなったのは最近の傾向であるし,デジタル化の進行度ではアメリカの先進性は否めないが,2つの面で再考してみたい。

 まず,アメリカ社会での「デジタル・デバイド」への注目は決して最近になって策定されたものではない。上記の予算教書からの引用は,1993年のいわゆる「情報スーパー・ハイウェイ構想」の中でゴア副大統領が「この国は電子化された情報を『持てる者』と『持たざる者』に分けることはしません。」と述べていたのに対応している。いわば「デジタル・デバイド」は情報スーパー・ハイウェイの出発点から予測されていたものであり,それへの対処の必要性も最初からすでに織り込まれていたと言える。
実際に,「電子情報を持てる者・持たざる者」間の格差についての実態調査も商務省によって1995年以来隔年で続けられており,上記の予算教書での言及への補足説明に各メディアがあげているのは,その3回目の調査結果である。
因みに“Digital Divide”という語は2回目(1997年)の報告書からタイトルに使用されている(http://www.ntia.doc.gov/ntiahome/digitaldivide/)。

 もうひとつの観点は,私たちの社会にデジタル化以前から存在する格差と新たに到来した「IT革命」あるいは「デジタル・デバイド」はどう関わるのか,という点である。
アメリカでの「デジタル・デバイド」に関わる3回の継続的調査は,「情報スーパー・ハイウェイ」あるいは「インターネット」あるいは「IT革命」が新しい格差を生み出していることを示すが,同時に,従来からある人種・地域・収入・学歴などが異なるグループ間の格差をより広げてもいるという事実を示している。

 こうしたことからすると「デジタル・デバイド」という現象も,旧来からある情報提供システムと情報格差との関係の延長で整理するのがむしろ適切なものであると言えるのではないだろうか。

 話は少し遡る。1994年にアメリカ郵政省が行政情報端末を地域に設置する「キオスク計画」を発表したが,公立図書館はその計画に含まれていなかった。この計画をTVニュースで知り調査したある図書館員はこう自問した。「150年以上の間,公立図書館は行政情報を地域に提供してきた。…なぜ『図書館』という語がこの計画に出てこないのか? 」彼女はそれをインターネット上の会議室に提起し,多くのリアクションがあった。それもきっかけになってこの計画に図書館も含まれることとなった。

 「デジタル・デバイド」という語が生まれる以前のこのエピソードは,「デジタル・デバイド」と図書館の関係を明らかにしてくれる。「デジタル・デバイド」以前から「情報格差」は常にあったし,それを生み出さないための,あるいは是正するための社会的システムとして公立図書館はずっと存在してきた(少なくとも理念的には)。
アメリカでの調査に見るように,「デジタル・デバイド」が新しいと共に旧来からの格差を増幅する現象であることを前提に,従来からの情報提供・情報格差是正の延長上で対処法を考えた方が座りがいいようだ。

(むらおか かずひこ 大阪市立図書館)