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1998年12月に小・中学校学習指導要領が制定,1999年3月には高等学校と盲・聾・養護学校学習指導要領が制定され,前者は2002年度から全面実施,高等学校では2003年度から学年進行で実施されようとしている。
この中で共に「学校図書館を計画的に利用する」ことと,「コンピュータや情報通信ネットワークなどの情報手段」を活用することが,いずれも若干の表現の違いがあれ,並列して強調されている。さらに,高等学校では,普通教科に「情報((A),(B),(C)のいずれか)」の新設や現職教員の「情報」免許取得体制の整備,専門高校に「情報」を教科として新設などの企図が進行している。こうした中で,教育工学,コンピュータ工学畑の人達からは,「コンピュータ・リテラシー」をキーワードにコンピュータに対する理解力,操作方法,デジタル情報の社会的・倫理的理解力,情報の科学的理解,情報活用能力,情報社会参画の基礎的態度などの必要性が主張され,試案教科書提案なども活発に行われている。
これらを平易にいいかえれば,小・中学校ではコンピュータに親しませる,使えるようにするという観点からマルチメディア情報を扱わせ,インターネットを使い,それに慣れるという教育の方向が見られ,高等学校ではコンピュータ工学の基礎を学習させる,という考え方がうかがわれる。
ここにはコンピュータを新しい「道具」,「環境」としてとらえる視点は強いものの,現在の閉塞した教育を変えていく道具としてのコンピュータという観点が幾分希薄であるように思われる。言葉を重ねれば,コンピュータを使用したらこんな教育ができたではなく,こんな教育を進めていくための道具としてコンピュータを活用していきたい,という基本的な態度である。
一方1997年には,「学校図書館法の一部を改正する法律」の公布・施行,「学校図書館法附則第2項の学校の規模を定める政令」の公布・施行や,これに対応しての「学校図書館司書教諭講習規程」改正・施行と司書教諭カリキュラムの大幅改訂,1998年度からの新司書教諭講習の実施などが進められている。これらの中で,学校図書館の機能を教材・教育情報センター,学習情報センターと読書センターとし,前者に対して「学校図書館メディア」,「情報リテラシー」などの語が,後者には「読書と豊かな人間形成」などが提唱されている。ここで紙数の関係上「ぷっつん」,「キレル」,「学級崩壊」などの言葉が想起される後者には触れる余地はないが,前者の「情報リテラシー」は,自分の問題解決に有効な情報の発見,入手情報に対する評価・判断,情報の咀嚼と加工,表現と他者とのコミュニケーションなどの幅の広い概念として把握しておきたい。
こうした背景の中で,学校図書館へのコンピュータとネットワークの導入を,学校図書館の機能拡大として位置づけ,マルチメディア資料・情報の提供,ネットワークによる入手資料・情報の拡大などの効用を望む声が強い。しかしここでは二つの視点を見失ってはならないことを強調しておきたい。
第一には,学校図書館の運営・サービスのための道具としてのコンピュータ,ネットワークである,という点である。現在の学校図書館活動の豊かな実践の上に立ったより効率的な運営,より利用者の要求にこたえるための新しい手段の追加導入である。新しい道具の導入の前提には,現在の運営,資料提供の内実が前提となる。
第二には,学校教育を支えるものとしての学校図書館の役割である。求められている「自ら学び,自ら考える」教育は,自らの関心を調べ,考え,その結果を自らが納得していく,という課程であろう。またこの獲得したものは,それをまとめ,表現・提示し,それを自分の仲間との共同の理解へと開かれていくことが大切である。繰り返しになるが,コンピュータやネットワークの導入も学校図書館の情報化も,新しい教育を支えるものとしての手段であり,目的ではない。
学校図書館が「学校の教育課程の展開に寄与する」ために学校に設置されている機関である本質的な役割はここにあり,学校図書館の人の専門性が求められるのもまずはこの点からにあると考える。
(きた かついち 本会理事 大阪市立大学)