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アメリカでは公共図書館のインターネット・サービスが普及しつつある。図書館の電子的サービスは焦眉の問題となっている。ところで日本の館界では「電子図書館」に対する批判が少なくない。だが諸意見の内には、焦点を変えると情報化が現実となった場合にも活かしうる議論があるように思う。それらを参考に電子化時代と図書館理念の関係を問う。
電子的処理は今日社会的動力の中心の位置を占めつつある。一般市民に対する電子面での情報サービスの活発化は必須であり、社会のどこかで実行されないと困る時代である。図書館は「まだ電子的な情報サービスをする機関ではない」と仮定したとしてみよう。その場合には図書館サービスのと同様の電子情報サービスを行う何らかの機関が必要となる。関係の機関として、情報センター、ロジテック等が考えられる。ところがそれらにおけるサービス観は、図書館世界のそれと間々異なることがあるように見受ける。
ここ数年間、情報センター関係の経営に携わり、そうした機関等に見聞を重ねた。そこでは一種の不満を感じた。図書館が達成しているようなサービス理念、サービスシステムを見ることが少なかったことである。情報センター側には館界に習うべき面が多いのである。思いつくままに一部をあげる。
日本の大学では電子面での情報サービスは情報センター等が担うかのように思われていた時代があった。しかしそこには上に見たような、「図書館」の感覚とは異なるものがある。アメリカの多くの大学では「情報」のうち「情報サービス」に関するものは図書館で扱う。そのうねりが公共図書館に到達している。電子面での情報サービスは目前にある。
図書館情報化の流れの中で「情報」側で形成された管理的属性が、「図書館」側に侵入してくる怖れがある。無料制、読書の自由等の侵食である。ただ情報機関側にも、検索結果の出力用紙の無料化など、館界で躊躇するような面を超克した展開点はある。
情報化の潮流の中で図書館は、図書という扱うメディアの良さを土台に、それを利用に移すための図書館機能、それらを支える図書館理念、諸制度・法制等の卓越性を、再確認すべき時期にあると考える。
(しほた つとむ 桃山学院大学文学部)