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《コラム http://wwwsoc.nacsis.ac.jp/nal/》
『図書館界』50巻5号 (January 1999)

図書館と情報リテラシー

北 克一

脱工業化社会の後は情報化社会という概念の浸透と共に,われわれの社会は大きな変化を遂げようとしている。インターネットの急速な普及やコンピュータ・システムの価格/性能比の劇的な進展がこれを加速しており,次々と開発されるアプリケーション・プログラムと標準化技術の提唱はめまぐるしいものがある。

図書館を取り巻く環境もこれらの変化に無縁ではない。個々の詳細にふれる紙数はないが,図書館界との関係を見ても,ユネスコ公共図書館宣言の改訂,WIPO著作権条約の締結とそれを受けての国内著作権法の改訂,各種の電子図書館実証実験,大学設置基準の大綱化と一連の大学再編の進行,学校図書館法の改訂,初等・中等教育課程の見直し,図書館法検討の動向等々,と枚挙にいとまがない状態である。
関連して情報リテラシーの問題が取り上げられ,情報のユニバーサル・サービスとは何か,情報弱者の課題をどう考えるのか,といった図書館にとっても見過ごすことのできない問題が山積みである。

国の情報化施策も,各省庁が通信基盤整備施策から各種アプリケーション実証実験施策まで百家総鳴の状態であり,図書館に関係する情報化施策も数多く打ち出されている。しかしこうした状態の中で,かえって情報化にたいして図書館現場での混乱と結果としての停滞が生じているのではないか,という懸念がある。
図書館に関係するたくさんの情報化施策の中から,あたかもファーストフード店のメニューを選択するように情報化プロジェクトに参加する。結果として生み出された,めったに更新されないホームページ,紙媒体資料の単なる置き換えかそれ以下の貧しい内容のホームページ,インタラクティブ性を持たずコミュニケーションの道具として機能しないホームページは,悲しい電子紙芝居でしかありえない。それは,限りなく貧しい電子ゴミの大量生産ともいえるかも知れない。

ここに日常の図書館業務の別に,図書館情報化施策が独立して存在しているかのような誤解はないだろうか。ネットワークへの対応やデジタル化への取り組みは,あくまで資料・情報を収集・組織化し,利用者に提供するという図書館の基本機能をより十全に果たしていくための新しい道具の取り込みや拡張であって,それ自体が目的ではないばずである。
振り返って現在の図書館サービスを提供している体制に,サービスの継ぎ目はまだまだたくさん存在している。このサービスの継ぎ目を埋めているのは,利用者の時間と労力ではないか,と見直してみる必要があろう。
普及しつつあるインターネットOPACも,その一つの取り掛かりであってもとても到達点ではありない。全国図書館の数百のインターネットOPACが,検索インターフェイスのバラバラな状態で登場すれば,混乱は限り知れない。

現在の人・蔵書・予算という自館経営資源と使用可能な情報化技術の組み合わせは,設置母体による館種別や館の規模により当然に異なるし,多様な選択が有り得よう。先の継ぎ目を一歩づつでも埋めていく努力と結果が,図書館界の存在を問われているであろうし,専門職としての力量の如何でもないだろうか。
例えば大学図書館において取り組まれているドキュメント・デリバリー・システムや電子ジャーナルの導入は,ネットワークを介した学術文献提供の飛躍的向上を果たすものとして期待されている。しかし一方では,多くのこれらシステムはシステム提供者との契約により,当該大学キャンパス内部での情報提供に限定されており,図書館間相互協力への道は閉ざされている。一部で試行されているコンソーシアム契約も,根本的な解決にはならない。個別またはコンソーシアム内の図書館の正解は,かならずしも図書館界全体の正解につながらない矛盾がこのままでは拡大していく現状にある。これに対しては,図書館界全体として抜本的な著作権法への対処が必要とされよう。

繰り返しになるが新しい技術の導入目的は,時のアリバイを築くことにあるのではない。第一次の電子化への各種実験取り組みの評価の上に,図書館の日常活動と密接に対応した電子化・ネットワーク化のグランド・デザイン構築が問われていよう。   

(きた かついち 大阪市立大学)