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3月に入ると,大学図書館では新学期の開館準備に余念がない。とくに新入生を迎えてのオリエンテーションや館内案内ツアーなどは,大学図書館に対する最初の印象を決定づけ,その後の利用にも少なからず影響を与えることから,図書館員は張りきって準備に工夫をこらし,またその効果にもおおいに期待するところである。
私の勤務する大学図書館では,例年新入生ガイダンスの後に参加者(約2,000名)にアンケートを行っている。その結果によれば,「高校時代までにこのような図書館ガイダンスを受けたことがありますか」という質問に対して,「ある」という回答はこの5年間常に参加者の25%前後であり,新入生の大部分は積極的な図書館利用の経験を持っていないことが推察される。学校教育の途上にある学生にしてこのような状況である。では,生涯学習といわれる時代の,一般社会での人々の図書館の利用度はどのようなものなのだろうか。
たとえば,都市に住んでいると身近に公共図書館の活発な活動例などを見聞きするためあまり感じないことであるが,故郷に帰省したときなどに愕然とするのは,図書館に対する人々の認識度の格差である。近辺に図書館はなく,図書館サービスに接したことのある人は稀であり,そのイメージも旧態依然のものである。図書館はあるけれど利用しないのではなく,利用したいけれどないというものでもなく,図書館はそもそも人々の日常の生活や意識のなかに存在していないのである。図書館サービスが定着し,その便利さを当たり前のように享受する人々がいる一方で,図書館とまったく無縁なところにいる人がいる。この人たちにも,なんとかして図書館のことを知ってもらう術はないものかと思う。
前述の大学図書館のガイダンスでは,新入生が図書館についてあまりよく知らないということを,私たち図書館員が確認するところからその第一歩が始まる。学生たちは4年間図書館を利用することで,必要な資料や情報をいつでも自由に入手できることを知り,ものの調べ方や探し方を習得し,身近に図書館がある便利さを実感する。だが,社会人になっても図書館を利用するようになるかどうかはわからない。図書館が利用できる環境にあるかどうかもわからない。しかし,必要なときに図書館に行くという生活が当たり前のものとして身についていれば,身近に気軽に行ける図書館がないことは不自由なこととして意識されるだろう。これは,毎年毎年,図書館学を学び終えた学生が各地に巣立っていくのと同じように,将来に向けてなにがしかの種を蒔くことにはならないだろうか。
しかし,いっそう効果的なのはより多くの人に情報が届く方法を探ることである。例えば「図書館においで子供たち」という新聞記事(朝日新聞1998年1月6日朝刊)では,児童サービスの現状や問題点を,綿密な取材に基づいた正確でわかりやすい記事にして,読者に提供していた。自分の町にもこんな図書館があったらいいのにと思わせる記事内容であった。身近に図書館がない地域でも,新聞を読む人は少なくないだろうから,案外図書館について関心を持つきっかけとなるかもしれない。大切なのは図書館やその活動についての正確な情報を提供し続けることであり,そのような記事を掲載してもらえるよう働きかけることも,図書館の裾野を少しでも広げるために必要なことであろう。
目の前の利用者にサービスすることに比べれば,図書館と無縁なところにおかれ,情報から遠く隔てられている人たちに,図書館のPRをしようというのはとても困難なことかもしれない。しかし,そんな人たちのところへも届く方法で図書館のPRをする,図書館のことを広く知ってもらうことは,図書館に対する正しい理解と評価を形成するためにも必要なことである。そして,これは社会的な存在としての図書館の責任であり,そこに働く個々の図書館員の務めでもあろう。
(あかせ みほ 京都産業大学図書館)