日図研のホームページの運営にかかわらせていただいてほぼ1年になる。開設経緯や機関紙『界』との関係などについては、川崎さん、松井さんの先立つコラムがあるので割愛し、こうしたネットワークを利用した情報伝達の姿について思うことを少し述べてみたい。
人間は歴史が始まって以来、さまざまなメディアとそのメディアを使用した表現方法を生み出してきた。そこであらゆるメディアは、人間や組織のコミュニケーション手段の拡張−時間と空間の拡張−であったといえる。図書館もその中で生み出された社会的装置の一つである。
現在、ネットワーク型デジタル・メディアがさかんに論じられている。ホームページもその中の一つである。ホームページを経済的・技術的側面から見れば、例えば、『界』を発行するのと比較して、早く、簡単に、しかも経費はなく情報発信が可能である。しかし、これはメディア自体の特質であって、その内容とは異なる。
一般にネットワーク型デジタル・メディアの利点は次のような点が上げられる。
まず、情報の速報性とインタラクティブ性が高いこと。ここに、コミュニケーションが増大し、交流、創造が始まる。
第二にデジタルであることから、紙媒体メディアの紙数制限の脱却や紙媒体の表現方法と異なる表現の可能性が広がっている。また、図書館に関係の深い蓄積、組織化、提供についても、システム的なしかけを用意しておくこともたやすい。
で、日図研のホームページに戻ろう。関係する者が述べるのは恐縮だが、掲載内容の大方は「官報」と「告知板」といえるだろう。内容は、理事会、研究委員会、編集委員会などで確定したことのお知らせであり、紙に最終確定するまで素材テキストも送付されてこない。『界』と比較しても、速報性、内容にも魅力が少ない。
歴史上も新しいメディアは、古いメディアの似姿をまとって登場している。例えば映画の初期は、芝居の疑似であった。世間のホームページも最初は印刷物の代替えから始まり、徐々に新しい表現を獲得している。
実は『界』とホームページという対位法も、不思議な比較である。ネットワーク型デジタル・メディアには、古典的な利用法だけでも電子メール、メーリングリスト、電子アーカイブなどがある。例えば、日本図書館学会では電子メール・アドレスつきの会員名簿はメール送付だし、希望者には会報も電子メールである。シンポジウムの参加もメールで申し込める。理工系学会ではすでに電子投稿のみのところや電子雑誌を刊行する学会もある。シンポジウムの受付もネットワーク上でのみ行われるところが増えてきた。
日図研もそのまま追従すべし、ということではない。会員の要望、現状を慎重に図りながらも、新しいネットワーク型デジタル・メディアのコミュニケーション・ツールとしての可能性を探り、会員と共にそれを経験していく中で、新しいメディアの利用を獲得していく姿勢が好ましいと考える。
新しいメディアはうさん臭く見えたり、会員は、接続できない、しない、会員が減ると困る、と消極的であるとしたら生まれるものは少ない。個人でも1,2日で簡単なホームページを作れるようになった今、速報性と共にインタラクティブ性を併せて、新しいコミニュケーションの回路(チャネル)を開き、研究会の活性化に取り込む時ではないだろうか。
一例であるが、農林水産省関係の研究所に所属されているH氏が始められたホームページは現在、日本の図書館OPACに関して最も充実した内容の一つとなっている。情報の発信が情報を呼び込み、情報の広場が充実していく例である。
おりしも「図書館法改正」問題にかかわって、利用対価の問題も浮上している。情報化社会における図書館の役割を討議し、「ユネスコ公共図書館宣言」が改訂されたのは1994年であった。電子メディアの課金やネットワーク社会での情報のユニバーサル・サービスと図書館の役割を考えていくには、対象となる世界を使う、経験することが出発点であろう。 最もこのコラム自体、日図研のホームページに掲載される予定にないようだから、むべなることかも知れないが...。
(きた かついち 大阪市立大学)